東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

学歴と引き換えに失ったモノ?-ヒロイン的生き方?

先日、「『夫に持つと大変…』1位は東大卒」という記事について、あーだこーだ言ってみましたが(※1)、この記事が心に引っかかった本当の理由は、「高飛車」にあったわけではありません。
私の心に引っかかったのは、東大卒女性と結婚した男性の以下の発言です。

「経済的に自立しやすいことから、お互いのキャリアを優先していくと、一緒に暮らす理由が希薄になりがちな部分はありますね…」


「肯きたくない!」と思いつつも…「ちょっとわかるかも…」と思ってしまいました。


【東大卒同士の夫婦=戦友?】

東大卒の夫を持つ友人と話すことに、夫(あるいは彼氏)との付き合いが長くなると、「戦友」みたいな関係になってくるよね、ということがあります。
(と、少なくとも我々は思っています)


東大卒同士の夫婦は、学力も社会的地位も、収入もほとんど対等な関係です。
それ故に、節度を保った上でという条件は付きますが、仕事について、同業者でなくとも相談をしたりされたり、アドバイスらしきことをしたりもします。

公私どちらの問題も一緒に戦ってくれる、場面を問わない最強の味方、という表現がふさわしい関係になってきます。
ある意味、鬼に金棒です。


また、経済的にお互い自立をしているということは、どちらかに何かがあってもそれなりに補うことができます。
社会・経済情勢の不透明な昨今、夫婦共働き家庭が増えつつあると言われていますが、今後、さらにその傾向は進むものと予想されます。


つまり、戦友的夫婦関係はベストな関係と言えます。

 

でも…

そうなのですが…


すっきりと割り切れない思いがあります。

 

【学歴と引き換えに失ったモノ?】

親世代を見てきたからなのか、マンガなどによる刷り込みのせいなのか、あるいは、現状に対する反動なのかわかりませんが、やっぱりどこか、弱くて守られる存在としての女性=優しく愛らしい女性、への憧れがあります。


先ほどの男性の意見を逆に読むと、

  • 経済的に自立しにくい
  • お互いに優先すべきキャリアはない
    →女性には「キャリア」はないが、男性にはある

→だから、経済的(=仕事=キャリア)には男性が支え、その分、女性は男性を支えるために、一緒に暮らす必要がある

と、読めます。

 

経済的に自立していなく、働く(キャリアを持つ)夫を支える妻。
何だかそれだけで、かわいらしく、守るべき存在、というイメージが湧いて気ます。
それこそ、きっと自己主張などしないのでしょう。
料理もうまいのでしょう。


これらは全部、私の勝手な解釈だとわかっていますが…
ヒトのことなど言えません。。


でも、マンガなどのヒロインは、多くの場合こういう女性なんです。。


ちなみに、妻がヒロイン女性のご夫婦は、長く一緒にいても、「戦友」という言葉がしっくりくるような関係にはならないのでしょうか?

 

 

「シンデレラ」が長く広く世界で愛されていることが表しているように、やっぱり女子である以上、かわいくて愛される女性、つまり、マンガのヒロイン像への憧れは多かれ少なかれあるものです。
そして、あの男性の発言は、学歴故にヒロイン像とは真逆である女性像を彷彿とさせます。


そうすると、何となく…

  • ヒロイン像に今より近い人生が、私が高学歴と引き換えに失ったモノだったのかもしれない…
  • 今の人生を選ばなかったらあったかもしれない未来の一つだったのかもしれない…

そんな思いに駆られてしまいます。

今さら戻れない、過去の選択への後悔はないけれど、何も考えずに手放してしまった可能性への郷愁を感じずにはいられません。

 

この話、っやっぱり恥ずかしいですね。
でも、もうこの際です。
もう一つ、恥ずかしい発言を。


女性のしあわせな生き方って、何なのでしょう??

 

 

※1東大女子は高飛車!?それは違います。 - 東京大学を卒業しましたが、