東大生の就職者ゼロに見る新聞の役割の変化
以前、「朝日新聞、今春、東大生の新入社員ゼロ」というニュース(※1)を見ました。
今から10年程前の私たちの就職活動のとき、新聞社の今後に若干の不安を抱きつつも、何人もの友人が新聞社を受けて敗れていった姿を見てきました。
そんな私にとって、このニュースは驚きというか、「時代は変わったな…」と思わされるものでした。
「東大生が受ける会社」という考え方にどのような意味があるのかはわかりませんが、少なくとも人気企業だった新聞社から東大生が撤退しつつある現状が何を表しているのか考えてみました。
【ジャーナリズムとニュースのインデックス機能】
先日、「新聞があぶない」という新書を読みました。
内容については、別途「読書記録」(※2)をご参照いただければと思いますが、一番印象に残ったのが「ジャーナリズム」についてです。
そういえば、新聞社を受けた友人たちは、駒場の教養時代からジャーナリズムだとかマスメディア論だとかに多大な関心を示していました。
でも、大学を卒業してから、特にここ数年、私自身は「ジャーナリズム」という言葉自体、聞いたことがありません。
さて、皆様は新聞を読まれますか?
「新聞なんて一度も読んだことがない」という方はいらっしゃらないかと思いますが、新聞の左側のページの方が右側のページのニュースより重要だ、とか、隣接したページ同士の関連などについて考えながら読んだことはありますか?
朝日新聞は○○な傾向があって、産経新聞は××な傾向がある、といった話を聞いたことがありますが、そのような編集方針に期待をしつつ記事を読んだことはありますか?
私はありません。
ただ、最近新聞を読まなくなり(前職時代は会社が購入しているものを読んでいました)、
- ネットで見るニュースの量が思いの外少ない
- 自分の興味・関心に偏ったニュースしか見ていない
ということに気づかされました。
朝、何気なくつけているニュース番組で「昨日、産業競争力会議で…」と聞いて、初めてハッとすることもあります。
そういうときに、新聞がほしいな…と、思います。
しかし、ここで私が新聞に求めていることは、多様で幅広いニュースをインデックスのように提供してくれることです。
新聞社がそのスタンスにそって、情報を編集してくれることは求めていません。
もちろん、自分では当たれない情報源もありますが、ネット上にはそれなりの情報が落ちているので、インデックスをもとにして、気になった記事については自分で調べます。
また、あるニュースに対する見解などについても、識者と呼ばれる人を含む多様な人がネット上で意見を発信している現在、新聞に頼る必要はありません。
つまり…
一般市民が新聞に求める内容が変わってきたのではないでしょうか。
私たちは新聞に対して、記者の正義感や創造性などに依拠するジャーナリズムではなく、単に事実を幅広く集めて「こういうことがあります」と伝えてくれるインデックス機能を求めるようになったのだと思います。
そう考えると、単なる情報集めをするだけの仕事に東大生が魅力を感じなくなってエントリーが減る、という傾向にも納得できます。
あれほどの人気企業だった新聞社に東大生が入らなくなったというニュースは、そんな新聞の役割・あり方の変化を象徴しているのではないかと私は想像しましたが…。
こんな見解はいかがでしょうか?