東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

好きなことをする。だから、学ぶ。

【私が学びたいから学で十分】

文系分野を学ぶ意義って何だろう。
文系分野を学んでも、社会に真に影響を与えることはできないのではないか。
そもそも、学んだことを活かしたいという欲求は、社会の中では満たされないのではないか。

 

ここ数日そんなことばかり考えていたら、すごく暗く憂鬱な気持ちになってきました。

 

私は何かを知る・学ぶ、考えることが大好きです。
昔学んだこと、たとえば、美術館などに行って「あのとき聞いた話の絵だ!」と思うだけで、心が躍るようなうきうき感を抱ける幸せものです。

だから、「自分が好きなことである「学ぶ」ことに意味なんてない?」と思い悩むと、すごく虚しくやりきれない気持ちになります。
自分の好きなことに意義が見いだせない状況は思いの外苦しいです。

 

そんなじめーっとした悩みの時間を経て、たどり着いた結論は、


 私が学びたいと思うから学ぶで十分!


というものです。

 

私の人生なんだから、私がやりたいように生きればいいじゃないか!と、半ば開き直った気持ちでもありますが。


しかしながら、そもそも趣味は、何か成果を出したり意義を見いださなくてはならないものではありません。


それに、

  • スティーブ・ジョブス氏がオックスフォード大学の卒業式の講演(2005年)で「いろいろな関連をつけることは大事だ。けれども何が大事なのかは前もってわからない」ことを強調し、彼自身、大学中退後書道を勉強し、それがアップル社の製品づくりに活かされたと言われている(「もうダマされないための経済学講義」(※1))
  • 「僕らの頭脳の鍛え方」で佐藤氏の、「不況期においては、とにかく実用的な内容の本でなければ手に取らない」と指摘(※2)

これらの指摘を受け、「これは大事です」という帯がついたもの以外、無駄だと考えている自分の在り方に気づきました。

 

それに…

このままどこに行けるかわからなくても、読書やブログを続けていたら、もしかしたら、今の私には全く想像できない「どこか」にたどり着ける日が来るのかもしれません。
でも、今ここで何もしなかったら「どこか」にたどり着けることはあり得ません。

「ここ」に立ち止まってることにしかなりません。

 

そもそも、私が「今、ここ」にいることだって、計画通りにたどり着いた場所ではなく、その時々の目の前にあることにしっかりと向き合った結果です。

 

【もっと自由に、学んで書いて、いつか自分のためになればいい】

以前、湯山礼子さんが、

アラサー期は、「自分の生き方や個性把握のために、足と頭を使って」動いて、「生まれたまんまのでくの坊みたいな大木に、自分で彫刻刀を手にして、自分という像を彫り出していく」必要がある(=自分プロデュース)

という趣旨の話をされていて(※3)、すごく心を打たれました。


私も、今のままの流されるだけの生活を送っていたらダメになっちゃう、という焦りを感じました。
それに、もともと、自分の好きなことややりたいこと、生き方を貫いている益若つばささんや安藤忠雄氏にあこがれてもいました。

 

だったら私自身も、気負って焦って空回りばかりしていないで自分の気持ちに素直に生きればいい。

 

そう思ったら、すごくすっきりしました。



でも、漫然と本を読んでいるだけでは、湯山さんの言う「自分プロデュース」にはならないから、きちんと考えて言葉にするブログは続けていきたいと思います。


また、「東大卒(or高学歴)であることの意義」や「学ぶ意味とは?」といった問いは、私自身のテーマでもあるので、引き続き考えながら、もっと自由にたくさんのことを学んで、自分で考えて言葉にしていきたいと思います。

 

私は知って、学んで考えることしかできない。
それは、東大卒のせいだけど、東大卒のお陰でもあるのだと思います。

 

だから、後ろを向いていないで前を向こうと思います。

 

 

 

※1経済学関係の本を3冊ほど読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

※2「ぼくらの頭脳の鍛え方」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

※3AneCan11月号(2013年10月7日発売) 目次:AneCanニュース | AneCan.TV