東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

若手社会人の成長願望に見る進歩主義の終焉?

最近、今の生活に退屈してきました。
去年までは去年までの生活に退屈して、飽ききっていましたが…
私は飽きっぽい性格なのでしょうか?

 

【学校教育がつくる「成長を求める体質」?】

大人になると日々の生活における変化が少なくなります。
大学生のころまでは、授業期間があって長期休暇がある、長期休暇の前には定期試験がある、というように生活にメリハリがありました。


また、ひとつの学期の間の生活は単調だとしても、定期試験という、短距離走を走り抜くような努力をして成績というフィードバックをもらうという刺激もあり、いいバランスが保たれていたと今なら思えます。
加えて、同じ学生であっても、1年経てば学年が上がり、教室が変わって担任の先生も変わって、時間割も変わって、場合によっては中学生→高校生のように、自分を取り巻く環境が大きく変わることさえありました。


安定した生活の中での「変化」、すなわち「成長」を実感できる機会が用意されていました。



それに比べて社会人の生活は単調です。
人事異動があったり毎年それなりの人数の新入社員が入社してきますが、学生のころのような、「1年間仕事=勉強をした分何かができるようになったという実感」が足りない気がします。


学生と社会人が違うことは重々承知してはいますが、20年+αの学生生活は、私たちを「何かが着実にできるようになって状況が変化していく実感=成長」を求める体質につくり上げてきたと言えるのではないでしょうか。


このような「成長」を求める感覚は、社会の発展にとっては必須なので、これも隠れたカリキュラム(※1)なのでしょうか。

 

【個人の成長を求める社会=進歩主義の終焉?】

最近、「成長」を求める若手社会人が多いという話をよく聞きます。


この背景には、学校生活によって培われた「何かが着実にできるようになっていく実感」を求める体質が関係していると考えることができると思います。

実際、「成長」を求める若手社会人は高学歴者が多いという指摘もあります。(※2)
高学歴者は、学校段階において、決められたカリキュラムの上を、つつがなく成長してきた人たちなのである意味当然です。


しかし、なぜ最近になって、このような人々が注目される(=目立つ)ようになったのでしょうか。


若手社会人が「成長」を求める背景には、大学でのキャリア教育や「いつまで今の会社にいられるのかわからない」といった雇用不安など、さまざまな原因が考えられます。
しかし、そのたくさんある背景の一つとして、社会における「進歩」が本格的に停滞してきたから、と考えることができるのではないでしょうか。


進歩主義の終焉です。(※3)



物質的な豊かさや経済発展が実感できる社会。
組織内における昇進、賃金の上昇、組織自体の拡大・発展が目に見える社会。


このような社会においては、わざわざちっぽけな「自分」の成長に目を向けずとも、成長を感じることができました。
しかし、今を生きる私たちは、個人の成長に目を向けなければ、成長を感じられなくなってしまっているのではないでしょうか。


これまで素朴に信じられ、推奨されてきた進歩主義という理念が現実との間でひずみを生み、それを何とか埋めようとする行為が、若手社会人の「成長願望」に表れていると考えることができると思います。


あるいは、かつては、アラサーともなれば「成長の塊」である子どもの一人くらいいるのが普通だったため、子どもが親の「成長」欲求を代わりに満たしてくれていたのかもしれません。

 

最近の若手社会人の強い成長願望は、このような日本社会の変化を表していると考えられないでしょうか。

 

ちなみに…
ネットの記事によると、男性は成長願望が強く女性は変身願望が強いそうです(※2)。
でも、私は変身願望より成長願望だな…
私はやはり男性的なのでしょうか?

 

 

※1「学校って何だろう―教育の社会学入門」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

※2成長したい男、変身したい女 | 最新・職場の心理学 女と男の探り合い | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

※3進歩主義とは - Weblio辞書 ←②の意味