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東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

「戦争の条件」を読みました。

【評価】
普通。

 

【関心】
イスラーム国の衝撃』(※1)及び『イスラム国の野望』(※2)を読んだとき、国際情勢、特に国際紛争についてほとんど知らないことを改めて実感しました。

昨今の国際情勢を鑑みるに…
一人の大人として、国際情勢について「知らない」「興味がない」とは言っていられない状況だと思ったので、今さら人に聞けないことも含め、国際紛争やそれに関する基礎知識を学びたいと思いました。

そこで、それらしき本を検索したところ本書が目につきました。
以前、藤原氏の『戦争を記憶する』(※3)を読んだ際、わからないながらも多くのことが詰まっている本だと感じたので、同著者による本書を読むことにしました。

 

【感想】
本書のあとがきで、「教育問題と並んで、国際問題は素人の発言が専門家と横並びにされる領域である」と指摘されています。
全くそのとおりだと思います。
私も国際問題は全くのド素人ですが、安保法制などにはそれなりに思うところがあります。

上記に加え、「さらに教育問題であれば自分が子どもの頃の思い出とか子育ての実際など何らかの経験をもとにして発言されるのに、国際問題の場合は経験さえ関係がない。」と指摘されています。

そのとおりとしか言いようがないのですが…
どうして、素人が自分の経験も何も関係なくモノを申したくなる分野とそうならない分野があるのでしょうか。

その理由については興味があるので、追々考えてみたいと思います。


しかしながら。
本書を読みながらその原因の一端が垣間見えた気がしたので、そのことについて徒然と書かせていただきます。

 

本書では、ある国際状況について、A国・B国など一定の抽象化を図った上で、ジレンマや問題状況を提示し、どうするべきかと読者に考えさせます。
そして、その後、問いに該当する具体的な状況を提示した上で、解説がなされます。

問いを読んだ時点で、「あのことね」と見当がつくこともありましたが、全く見当がつかない場合や、それ故に一般論として考えた場合、解説を読みながら具体的な国名として身近な国/遠くの国を入れて考えた場合で、自分の感情的な反応が全く違うことに気がつきました。
特に、身近な国を入れて考えた場合の感情的な反応は、日本政府による多少の税金の無駄遣いについて考える場合より明らかに大きくなりました。
(このような反応は私だけかもしれませんが)

このような感情的な反応が引き起こされるのは、国際問題が一歩間違えれば、大きく自国の利益=自分の利益を損なうものだからでしょうか。
それとも、自国の利益=自分の利益を奪っていく「他者」が、日本政府(=内部)なのか外国(=外部)なのかという違いなのでしょうか。

このあたりが、素人が国際問題について何かとモノを申したくなる理由の一因なのかな、と思いました。

 

上述の他にも、軍部は戦争に反対しているのに文官主導で戦争に踏み切るケースがあること(=文民統制の限界)や民主主義の限界など、今まで何も考えずに「当然のこと」とみなしていたことに疑問が投げかけられたりと、様々なことを考えさせられました。


本書は、国際政治に関する基礎知識を学びつつ、そこから派生する問題についても考えを深めることのできる良書だと思います。
民主主義の限界についても、少し考えてみたいと思います。

 

 

※1「イスラーム国の衝撃」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

※2「イスラム国の野望」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

※3「戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

 

 

戦争の条件 (集英社新書)

戦争の条件 (集英社新書)