東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

「時間はどこで生まれるのか」を読みました。

【評価】
普通。

 

【関心】
深い理由があるわけではありませんが、最近「時間」、特に体感時間が状況や年齢によって変わるのではないか、ということに関心を持っています。

アラサーになったころから、1時間が経つのは遅いのに、夜振り返ると1日はあっという間に終わっていて、でも、1か月が経つのは遅いのに、気づけばいつの間にか1年が経ってまた年齢を重ねている、と感じることが増えたような気がします。

「まだ、定時まで3時間もある…」
「えっ、今日も大したことをしていないのに1日が終わっちゃった!」
「お給料日が遠いな…」
「私もう○歳なの!?」

こんなことをよくつぶやいているような気がします。
同時に、小学生のころは1日がすごく長くてもっといろいろなことをやれたような気もします。
(「今」の感覚と「振り返って」の感覚は違うとは思いますが)

このような日常の些末な感覚が妙に気になり、時間に関する本を検索したところ、本書のタイトルに目が留まりました。
時間は「ある」ものだと思っていたので、「時間が生まれる」という表現にも新鮮さを感じ、読んでみることにしました。

 

【感想】
タイトルから哲学的な内容を想像していたのですが、読み始めてすぐ、パラパラっとページをめくってみたところグラフが目に入ってきました。
予想外の理系新書に驚くとともに、「物理です!」と言わんばかりの図・グラフに「物理、未履修だけど大丈夫かな?」と一抹の不安を感じました。
しかしながら、物理未履修の私でも、そのページを読んでいる瞬間瞬間には何とか理解をすることができました。

未履修の物理がメインの内容でもお手上げ状態にならずにすんだのは、文系でも入試に数学がある東大受験の賜物なのでしょうか(※1)。


ただ、ふと「何で光速のグラフを書くんだっけ?」と目の前で展開されている説明の前提がわからなくなることはしばしばあり…
そうなると物理の基礎知識がない&戻るのが面倒くさいため、「そういう前提」として読み進めるという、雑な読み方をしてしまいました。
反省です。
しかし、そうすることで嫌気がさすことなく読み進めることができ、かつ、部分部分には「おもしろい!」と思うこともできたので、雑な読み方も「良し」としたいと思います。


内容については、これまで物理学の視点から「時間」について書かれた本を読んだことがなく、加えて、物理の基礎知識がなかったため、聞くことすべてが初めてで非常におもしろかったです。
ただ、時間の向きが決まる理由として、エントロピーの増大と秩序維持の要請から意思が生まれるという説明には少し飛躍があるように感じました。。
また、自分の知識不足が原因なので如何ともしがたいのですが、本書の説明で物理学の視点からの時間の説明が十分なのか、何となく漠然とした不足感というか不安感が残りました。

高校時代に物理を少しでもかじっておけばよかったです。


今さら物理を学ぶ意欲はないのですが、新書を読む中でさらっと物理に触れることはそれなりにあるので、1年後ぐらいに再読してみたいと思います。

「シュレーティンガーの猫」は「理性の限界」(※2)に続いて二度目だったので、非常によくわかりました。
今さらではありますが、少しずつ新しい知識が増えていく感じは素直に楽しいです。

 

 

※1女子が東大を目指さないことの考察とポジティブアクションについて - 東京大学を卒業しましたが、

※2「理性の限界」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

 

 

時間はどこで生まれるのか (集英社新書)

時間はどこで生まれるのか (集英社新書)