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東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

狂信的な科学教信者ばかりの社会?

あなたは科学を信じていますか?


もしもそう問われたなら、多くの人が「Yes」と答えると思います。
しかし、「科学を信じている」ということはあまりにも当たり前すぎて、日常生活の中で意識をすることはほとんどないのではないでしょうか。


以前、「評価経済社会」(※1)を読んだとき、「科学への信頼の喪失」や「科学の限界」といった考え方に触れ、科学への漠然とした疑問を感じました。
その後、「理性の限界」(※2)に書かれていたファイヤアーベントの「科学こそが、もっとも新しく、もっとも攻撃的で、もっとも教条的な宗教制度だからだ」という言葉を読んで、「科学って宗教なんだ」と思いました。
それ以来、頭の片隅で「科学を信じること」についてずっと何かが引っかかっていました。


しかしながら、先日、ふとしたことから、その引っかかりが取れました。

今回は、その時考えたこと及びそこから感じた「科学の怖さ」について書かせていただきたいと思います。


【科学は一つの価値観に過ぎない】

現代医療では治せない病気があります。

 それは、医療(=科学、以下同じ)が未発達だからなのでしょうか?
 それとも、医療の限界なのでしょうか?


例えば、生理痛。
以前、内科にかかったついでに相談をしたところ「根本的な治療方法はない」と言われました。
生理痛に悩む女性は昔から大勢いたと思われるのに、いまだに根本的な治療方法はないそうです。

 将来的には、根本的な治療が可能になるのでしょうか。
 それとも、科学という枠組みでは永遠に治療方法は見つからないのでしょうか。
(あるいは、私が知らないだけでしょうか?)


それについては、「研究が進めば、治療方法が見つかるはず!」と考えるのも一つの考え方だし、「とりあえず、民間療法に頼ろう」と考えるのも一つの考え方だと思います。
そして、民間療法に限らず、宗教やスピリチュアルに頼るのも個人の自由です。

このように考えたとき、「科学は一つの価値観に過ぎない」ということがすっきりと納得できたとともに、前者の考え方もそれはそれで偏ったものだと思いました。

 

【狂信的な科学教信者ばかりの社会?】

私もそうでしたが、「科学は正しくて完璧なもの」という漠然としたイメージをもっている人は多いのではないでしょうか。

しかし、科学にも見落としているだけで不完全さはたくさんあります。
先に挙げた生理痛の例に加え、ニュートン物理学からアインシュタイン物理学へのパラダイムシフトも科学の不完全さの例と言えると思います(※2)。


このように科学にも不完全な面があるにもかかわらず、それでも、私たちは科学を信じています。
そして、「イノベーションが国の発展のカギ」と各国政府は科学技術に相当程度の予算を使っています。


しかしながら、数百~数千年後には、科学に代わる「何か」が私たちの考え方の中心となっていることも考えられます。


そのような世界では…

私たちは中世の、宗教などの非科学的なものが支配的だった世界を「蒙い」と言うことがあります。
それと同じように、「科学という考え方しかなかった世界って『蒙い』よね」と言われる世界になっているのかもしれません。
そして、そのような世界では、科学に国家予算をつぎ込んでいたことは「バカなこと」と判断されるのかもしれません。
(これは妄想過剰でしょうか)


このように、科学を一つの価値観として捉えてみると、現在の多くの人が科学を信じている自覚なく信じている状態=自覚なく「科学教」の熱狂的な信者となっている状況は、それなりに危険なのではないかと思えてきます。
もちろん、現代社会においても宗教が一定の地位を占めているように科学がなくなってしまうとは思っていませんが…


私の考えすぎでしょうか?

 


ちなみに、友人によると、東大駒場(教養課程)の「科学哲学」の授業では、「科学も所詮価値観の一つに過ぎない」という話をしていたらしいです。
もちろん、私は受けていません…

 

 

※1「評価経済社会」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

※2「理性の限界」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

※※本書は「危険な宗教の見分け方」から示唆を得ています。
  「危険な宗教の見分け方」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、