東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

英語について徒然なるままに ~英語が話せないまま逃げ切りたい!

今年の初めに「TOEICを受けてみよう!」という目標を立てた(※1)のですが、結局、目標倒れに終わりそうです。

なぜ今さらTOEICを受けようと思ったかというと、諸事情があったのと、たまには目に見える形での「成果」がほしいと思ったからでした。

でも、TOEICである程度成績が取れたからといって、だから何だ?」と思ってしまった瞬間モチベーションが下がりました。

加えて、勉強をはじめた頃、マニュアル本的なものを読んだのですが…
「リスニングで流れた単語が入っている選択肢は正解でない場合が多い」といった、センター試験のような攻略テクニックが披露されており、それも私のモチベーションを下げました。


わかってはいたことですが、「TOEICを受けるための勉強をしたからといって英語が『できる』(って、何をもって言えるのでしょうか?)ようになるわけではない」と思ってしまいました。

もっと言えば、英語が「できる」ようになるための努力をすることに時間を投資をするよりも、本を読むほうが今の自分にとってプラスになる気がしました。


その結果、英語の勉強から遠ざかって今に至ります。

 

【英語学習の掛け声倒れ】

昨今、相変わらず、グローバル化に関する掛け声だけは大きいな、と思います。


「このままでは日本は世界から置いていかれてしまう」


「そうなんだろうな」とは思いますが、だからといってその掛け声は英語を学ぶことについて私を動機づけません。

 

英語を学ぶことの意義はいろいろとあると思います。
でも、最も打算的な観点、「英語ができることのメリット/できないことのデメリット」が今の日本にないことが、英語学習が掛け声倒れに終わることの一因ではないかと思います。


皆様は英語関係の資格を持っていたり留学経験があったりすると会社で評価されますか?
私は評価されません。

会社などで評価されなければ、日々の仕事と生活で余裕のない人に英語を学ぶモチベーションは生じないのではないでしょうか。


実際、英語が話せる人は、英語が話せるか否かによるメリット/デメリットが直接的にある人たちに多いと思います。
例えば、京都など外国人が多く訪れる地域の店員さんは英語を話せる人が多い印象があります。


結局のところ、今の日本には、「英語が話せて外資系企業に就職できれば給料が2倍になる!」などどいったメリットもなく、海外勤務を望むなどの個人的な動機のある人だけが英語が話せるようになるまで努力をしている、というのが実態ではないでしょうか。


以前、東大の濱田総長が「将来は『学部生の半数を留学させる』」という趣旨の発言をされた(※2)そうですが…


東大生に「英語を話せなくては!」という動機づけはあるのでしょうか?

東大生は真面目な人が多いので、必要があれば努力をする人は多いと思いますが、それほどの「必要性」が実感される日は来るのでしょうか?


ちなみに、私の周りの東大卒者は「英語で仕事ができる」と言えるほど英語を話せる人は多くはないです。
しかし、彼らのほとんどがTOEICの点数はそれなりにとれたそうです。


【英語が話せないまま逃げ切りたい!~格安翻訳ロボットが欲しい】

ここまで英語に関する個人的な見解を徒然と書いてきましたが、結局何が言いたいかというと。。


英語が話せないまま、逃げ切ることはできないでしょうか??

 

英語不要論なるものが世の中にはあるようですが、私は、「いつかは英語が話せないと仕事ができなくなる世界になるのかもしれない」と思っています。
それでも、英語を話せないまま逃げ切る道を探したくなってしまいます…


私は英語が苦手です。
しかし、勉強すること自体は嫌ではありません。
ただ、学生ではない現状、「できなきゃね…」程度の理由では頑張る意欲がわきません。


自分が英語を勉強する前に、つい、格安の翻訳ロボットが開発されないかな、と期待してしまいます。
こんな私の気持ちは、共感を得られないでしょうか…?
共感を得られても、何も解決はしないのですが。

 

 

※1東大生と英語と私。 - 東京大学を卒業しましたが、

※2「学部生の半数を海外留学させる」 東大総長の危機感 :日本経済新聞