責任と給与の関係についての考察と+α
以前、昇進をした友人から「給料は大して変わらないのに責任だけが重くなるのなら、昇進しない方が良かった」というグチを聞きました。
仕事があまり好きではない私としては共感してしまいましたが、最近ふと疑問に思うことがありました。
責任が重いと給料は高くなるのか?
【責任と給与の関係についての考察】
平均年収の高い仕事としては、医師や弁護士、大学教授がよく挙げられます。
医師については、ミスをした場合、訴訟に発展したりと大変なんだろうな…と思います。
弁護士については、訴訟で負けたら何か責任を問われるのでしょうか?
大学教授については、そもそも責任って何でしょう?
小保方氏の博士論文における不正問題については、指導教員及び論文審査の主査を務めた教授は1か月の停職処分になったそうです(※1)。
少し話は変わりますが、「責任」という言葉については、歴代首相がよく使っているイメージがあります。
そして国会議員も、秘書の雇用などの事情はあるようですが、年収の高い仕事と言えると思います。
昨年8月に福島原発の漏水問題に対して、安倍首相が「政府が責任を持って対応し、国内外に発信してまいります」と発言をされていました(※2)。
しかし、漏水問題については、今年9月時点でも「予断を許さない状況」が続いているらしいですが、民間の報道ベースでしか私は知りません…(※3)。
(探し方が悪いのでしょうか?)
また、先日、福島原発の廃炉工程の見直しに関するニュースを見ました(※4)。
廃炉完了までの期間については国、東電とも「変更はない」としているそうですが、一国民としては「大丈夫?」と思ってしまいます。
私も日常的に「責任」という言葉を使いますが、改めて考えてみると、そもそも「責任」とはどういうことなのかわかっていないことに気づきます。
この点については別の機会にきちんと考えたいと思いますが、辞書の定義を踏まえつつ現状を鑑みるに、責任とは「きちんと仕事をします」という心構え程度の意味しかないような気がしてしまいます。
そうすると、責任が重くなる=給与が上がる、ということにはならないという結論に至ります。
加えて、「あなたの給料はこうして決まっていた!」(※5)という興味深い記事を発見しました。
この記事では、「資本論」に基づくと、商品の値段とはその使用価値によって決まるのではなく、「どれだけ『労力をかけたのか』という『価値』で決まって」いて、これは労働力の値段にも適用されるという考え方が紹介されています。
この考え方ですべての仕事について説明できるとは思いませんが、一理あるなと、頷いてしまいました。
【以下、蛇足です】
先日「リアル30's」(※6)を読んだとき、「自分の方がもっとつらい状況にある」ということの応酬に見えるやりとりが掲載された部分がありました。
そのような文脈だと、上述の友人の愚痴は「わがまま」と一蹴されてしまうのでしょうか…
冒頭に紹介した友人の愚痴には続きがあります。
私たちは何のために働くのか?
少なくとも私の周りの高学歴女性は総合職として働いており、昇進が早かったり責任の重い仕事を任されることが多いようです。
しかしアラサーにもなると、これまでは責任のある仕事を任されることは即ちやりがいと思えたけれど、家庭をもったり将来子どもを産むことを考ると「責任=やりがい」とは単純にいかなくなってきた、というものです。
しかも、往々にして責任の重い仕事には長時間労働がついてきます。
なので、「せめて給料は増やしてほしいな」というボヤキです。
このような悩みは、今までなら批判されたとしても、昨今は「女性の活躍促進」により共感を得られるようになったということでしょうか?
最近、結局のところ私たちは、自分が置かれた環境の中で悩むしかないのだな、と思うことがあります。
そして、全体的な公平感を確保することは重要ですが、そのために個人間でできることには限界があります。
それなのに、どうしてこうもギスギスしてしまうのでしょうか…
本記事について、ご不快に思われた方がいらっしゃいましたらごめんなさい。
※1小保方氏の博士号、早大取り消し 指導教員も処分 :日本経済新聞
※2平成25年8月28日 内外記者会見 | 平成25年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ
※3汚染水対策、手詰まり 廃炉作業遅れを懸念 | 河北新報オンラインニュース
※4第1原発の廃炉工程見直しへ 1号機燃料取り出し遅れ(福島民友ニュース)
※5あなたの給料はこうして決まっていた!成果を出しても給料が上がらない本当の理由 教養として知っておきたい資本主義のルール|超入門 資本論|ダイヤモンド・オンライン