「ハイデガー入門」を読みました。
【評価】
いまいち。
【関心】
「座右のニーチェ」(※1)に引き続き、「寝ながら学べる構造主義」(※2)に出てきた思想家について、もっと詳しく知りたいと思い読むことにしました。
【感想】
本書を読んでもハイデガーに入門できませんでした。
同じ話を繰り返していると思っていたら、いつの間にか違う話に進んでいる、という駒場の教養の授業を思い出しました。
以前にも書きましたが、私は、学問は現実理解のためのフレームワークだと思っています(※3)。
しかし、仮にそうであるなら、フレームワーク自体の理解が難しいものに意味はあるのでしょうか。
ハイデガーは20世紀の人物です。
プラトンやアリストテレスならいざ知らず、その思想の意味が学者間では了解できるよう、ハイデガーの生前に何とかならなかったのでしょうか。
あるいは、多くの人に「何かすごいけれど理解できない」と思われる著作を残してハイデガーは満足だったのでしょうか。
本書を理解できなかったことのすり替えではありませんが、わからなすぎてそんなことを考えてしまいました。
※1「座右のニーチェ」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、
※2「寝ながら学べる構造主義」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、
※3「教養」によって高学歴者の信頼回復を図ることはできないか。 - 東京大学を卒業しましたが、
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