東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

詰め込み教育の魅力~「わかる」喜びだってちゃんとあります!

以前書いた記事(※1)に引き続き、詰め込み教育の魅力について語りたいと思います。


詰め込み教育は、ただ知識を詰め込むだけで、わかったりできるようになったりする喜びがない、という趣旨で語られることが多くあります。

でも…
そんなことはありません!!


確かに、ただひたすら覚えたり、訓練のように反復することはつまらなかったり退屈だったりします。
しかし、それを耐え抜いた先に「わかった!」、「できるようになった!」という経験をすることもできます。
多くの方は、「つまらない」、とやめてしまうタイミングが早すぎるのではないでしょうか?


私の経験を少しお話させていただきたいと思います。


【できるようになった!@英語】

私が高校生のころ通っていた英語の塾では、とにかく英文法のルールを覚えさせられ、ぐちゃぐちゃ考えていられないほどの量の宿題を課されました。
よくわからないながらも、「こういうものだ」と割り切り、機械のようにルールに従って問題を解く日々。
今でも英語は苦手ですが、当時、今以上に何もわかっていなかった私にとっては本当に苦痛でした。


そんな苦行を1年ほど続けたある日、「私、英語ができるようになった!」と思った瞬間がありました。

今まで、英語を見ればとにかくわからず、頭の中はパニックだったのに…
なぜか、解けるようになりました!

 

【知識のつながりを発見!@日本史】

日本史は好きだったので、小説を読んだりもしていましたが、それでも、粛々と暗記をしなくてはいけない部分はたくさんあります。


高校3年生の夏、東大の日本史対策として論述問題に取組んだとき、歴史上のいくつかの出来事をつなげて解答を書こうと考えました。
そのとき、今までバラバラだった知識が一つのものにまとまる感じを味わいました。
あのときの、「そういうことだったのか!」と、心が弾むというかゾクゾクっとするような感覚は今でも忘れられません。

 

【知識の体験!@理科】

小学生のころの理科の時間に、見たこともない星座や一等星の名前をたくさん覚え「させられ」ました。
そして、そんな知識、文系の私にはなかなか思い出す機会も使う機会もありませんでした。


それから十数年後。

大人になって海外旅行をしたとき、すごくきれいな星空に出会いました。
まさに、「満天の星空」を見る機会に恵まれました。

それはそれでとても感動的な体験だったのですが、そのとき、特に思い出そうとしたわけでもないのに、「W」字=カシオペア座だ、と思っている自分がいました。
そうすると、北斗七星も探したくなります。
そして、気づけば、本当に柄杓の継ぎ目だけ3等星で、他の星より暗く、柄杓が折れそうになっているという先生の話を確認したり、コップの高さを5倍して北極星を探したり…


習ってから十年以上経って、実際の星空を見て知識の確認をしても決して遅くはないと思いました。

 

 

先日読んだ本の中で(※2)速水氏が、ゆとり教育の主眼について次のように書いていました。

「覚えてもたぶん一生、その知識を使う機会はないと思われることに時間をさくより、社会に出てからの人間力になるさまざまなトレーニングの場と時間を作ろう」というものだ。

このような話は、ゆとり教育擁護論においてよく見かける主張です。


でも、結局のところ、知識も人間力のトレーニングも、その後の人生で役立てられるかどうかはその人次第なので、五十歩百歩というところではないでしょうか。

 

文部科学省ゆとり教育の軌道修正をはかったことで、ゆとり教育の擁護論だけが声高に叫ばれますが、もう少し、詰め込み教育の擁護論の声も大きくなっていいし、そうあるべきだと私は思います。


私のつまらない記事を読んで、少しでも詰め込み教育に関心を持っていただけたら幸いです。

 

 

※1詰め込み教育の何が悪い?~詰め込み教育だって、役に立ちます! - 東京大学を卒業しましたが、

※2「それでも、ゆとり教育は間違っていない」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、

 

 

<関連記事>

「物語 ヴェトナムの歴史」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、