「知識」はどこまで記憶するべきか―中学入試問題を解いて考察をしてみる。
【中学入試問題を大人になって解いてみる】
突然ですが、麻布中学(2013年)の入試問題(理科、※1)を解いてみようと思います。
<問>
「「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物と認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。」
(補足)
本問の前には、生物に共通する重要な特徴として、以下の3つが挙げられている。
- 自分と外界とを区別する境界を持つ
- 自分が成長したり、子をつくったりする
- エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている
この問題は、(補足)部分が誘導となっていることは一目瞭然です。
なので、ここでは、
- 誘導に沿った解答
- 誘導及び「理科の問題」という状況設定なしでの解答
の2パターンの解答を書いてみたいと思います。
[誘導に沿って答えてみる]
例えば、石に手をぶつけて擦りむいた場合、生物であれば、自己治癒力により治すことができるが、ドラえもんは、そのようなことはできず、部品を交換するしか直す方法がない。
また、「子ども」を遺伝的なつながりを持つ存在とするならば、ドラえもんは子どもをつくることができない。
このように、「自分が成長したり、子をつくったりする」という生物が持つ重要な特徴を備えていないことから、ドラえもんは生物とは認められない。
[誘導なしで答えてみる]
現在のところ不死の生物の存在は報告されておらず、生物であれば、いずれ寿命がつき死を迎えることとなる。
しかしながら、定期的にメンテナンスをし、古くなった部品を交換することで、ドラえもんには、生物における「寿命」はない。
以上の理由から、ドラえもんは生物として認められない。
※誘導の観点は意図的に落としています。
ここで、模範解答をみてみると…(※2)
解答欄の大きさがわからないので何とも言えませんが、ほぼ正解ということでいいのでしょうか。
【知識はどこまで覚えるべきか】
私も大人だし、それなりに勉強をしてきたから誘導がなくてもそれなりの解答が書けるよね☆
と、思ったのですが…
さらに言えば、もしも、「理科の問題」という前提がなければ、自力で「成長・生殖」の観点を導き出せた可能性は…低いです。。
情けない限りです…
しかしながら、誘導に乗らない解答が情けないものになってしまった原因として、以下のことが考えられます。
- そもそも問題に答えのバリエーションがあまりない可能性
(正解があまりに多義的だと入試問題としては不適切) - 私が単に思いつかなかっただけ
英文は読めるのに、英作はできないのに似ています。
ちなみに、ネットで「生物 定義」etcと検索すると、「定義は困難」などとしながらも、麻布の問題の誘導以外に、
- ホメオスタシス
- 代謝系
- 呼吸
- 遺伝子
などが、ぱらぱらと挙げられています。
うーん、ホメオスタシスと遺伝子は何か書けそうな気がする!
さて、試験という状況はおいておくとして。
ネットという巨大な知のデータベースが存在する現代社会において、私たちはどこまでの「知」を自分の中に蓄える必要があるのでしょうか。
社会人になってから、過去を振り返ったとき、高校(場合によっては大学)までの勉強は、物事を考える際の引き出し増やすためのもの(=知識の吸収)だと思ってきました。
一方で、昨今注目されているPISA型学力では与えられた情報をもとに考えることが重視されています。
つまり、この問題でいえば、「生物 条件」をネットで検索をして、出てきたキーワードをもとに、ドラえもんが生物でない理由をどう説明するか考え、文章にすれば充分ということになります。
うーん…
子どもに何をどこまで覚えさせるのか、ということは、入試の在り方を含めてしばしば話題になります。
私は「詰め込み教育大好き派」ですが、大して何も思い出せなかった今回の経験を鑑みるに…
知識重視はやはり時代遅れなのでしょうか?
釈然とはしませんが、ちょっと揺れています。。
※1麻布中学校 2013年入試問題 理科 解答速報 | 受験情報サイト インターエデュ・ドットコム(2-1からが当該問題)