「学歴が気になる」という視点から政官関係について考察をしてみる。
先日、「いつ学歴を気にするのか」という記事を書きましたが(※1)、事例的な話をするだけでいまいちだな…と、思っていました。
結局あの記事では、「相手が同じ土俵(=知識ベースの土俵)で戦おうとするとき」という結論をきちんと書けばよかったのだと後々気づきました…
同じ話を繰り返しても仕方がないので…
「相手が同じ土俵で戦おうとするとき、学歴を気にする」という視点から、古賀氏が指摘する「官僚は自分たちは政治家より上だと思っている」(※2)ことについて、考察をしてみたいと思います。
*以下、上記の趣旨に沿って若干恣意的に官僚・政治家の一側面を切り出します。
【官僚(行政)と政治家の関係の歴史】
本題に入る前に、「近代日本の官僚」(※3)をもとに、官僚と政治家はその成り立ちにおいて対抗関係にあったことを簡単に確認しておきます。
この前提がなければ、「上も下も」ありません。
明治政府は明治維新を成し遂げた維新志士によって成立します。
そこには「議会」は存在せず、政治家もいません。
大久保利通も西郷隆盛も政治家ではありません。
そんな明治政府に対し、板垣退助らが議会(=立法府)の開設を要求し、それによって議会と政治家が誕生します。
なお、本書(※3)によると、立法府と対峙するため、明治政府は優秀な専門官僚による強い行政府をつくることを考えたそうです。
【官僚と同じ土俵で戦おうとする政治家】
さて、政治家の仕事ですが、これまで読んだ本では下記のものが、挙げられていました。
- (政策などについて)官僚とは異なる意見を持つ専門家などの声を聞きつつ総合的に判断をする(※4)
- 政治家こそ政策のプロでなくてはならない(※5)
- 霞ヶ関の役人を上回る能力で経済成長の実現などの道を見通せる議員が必要(※5)
あれ、政治家と官僚、同じ土俵の上で戦おうとしてない??
ー学歴が気になるセンサー発動ー
官僚と政治家(のマジョリティ)の学歴と知識量を比べてみると、
(官僚)
- 一昔前に比べると少なくなったとはいえ、東大卒者が多い
- 日頃から資料や情報を収集したり、研究を行ったりと専門知識を持っている(※4)
- 所管分野に特化した業務(深く狭く型の知識)
(政治家)
- 学歴は多様
東大生はそれなりにいるけれど、「圧倒的多数」ではない - 官僚のように情報収集もしているだろうが、国会にも出席するし、支持者との会合やら…
専門知識という意味では、官僚たちにはかなわない - 特定の分野への狭い関心ではなく幅広い視野が必要(浅く広く型の知識)
政治家が官僚と知識ベースの土俵で戦おうとするのであれば、そりゃ、官僚たちは自分たちの方が上だと思いますよ。
さすがに、官僚は「未曾有」くらい読めるはずです…
もちろん、このような、官僚と政治家の違いについては、当該職業が果たすべき役割に基づくものなので、是非を問う話ではありません。
でも、そう考えると、政治家が官僚と同じ土俵の上で戦うべきなのでしょうか?
【政治家は別の土俵でがんばって!】
元官僚の朝比奈氏によると「官僚は抜本的な改革案は描けない」そうです(※6)。
それは、抜本的な改革案を描けるほど官僚は
- 賢くない!
(昨今指摘されている、知の細分化も遠因だと思います) - 発想力がない!
(嘘か本当かはわかりませんが、東大生には発想力が乏しいという指摘をよく聞きます)
ということでしょうか。
そう考えると、政治家の方々は、その集団の多様性も活かして、「ビジョンを描く」という発想力の土俵で活躍されたらいいのではないでしょうか。
棲み分けと役割分担です。
でも、どんなに素晴らしいビジョンを描いても、官僚に「できません!」と言われて実現しないから、発想力土俵ではなく同じ土俵の上で戦おうとするのでしょうか?
うーん…
ところで。
素朴な疑問なのですが、それほど知識のない人に「総合的な判断」ってできるのでしょうか??
政治家が「総合的な判断をする」ことについて、個人的には不安を感じます。
※1学歴ってどういうときに気になるもの? - 東京大学を卒業しましたが、
※2「官僚を国民のために働かせる法」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、
※3「近代日本の官僚」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、
※4「官僚の責任」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、
※5「霞が関がなくなる日」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、
※6「官僚がバカになったから日本は『没落』したのか」を読みました。 - 東京大学を卒業しましたが、