東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

今の入試制度はダメですか?手厚すぎる塾サービスは嫌いです。

大学受験のシーズンが終わると、予備校がここぞとばかりにCMを流してきます。
高3のセンター試験の後、友だちと「全然できなかったから、来年浪人かもね」と話していたことを思い出します。


最近のCMを見ていると、予備校の主流が「一人一人に合わせたプログラム」や個別指導にシフトしてきていることを感じます。

私が大学受験をした頃は、個別指導はいいとこ小・中学生が対象で、大学受験の塾は一斉授業が一般的でした。
きっと、個別指導で育った小・中学生が大学受験を迎えるとともに、個別指導などの「きめ細かい」塾サービスが大学受験にも進出したのでしょう。


私自身、塾や予備校にお世話になったことはあるし、大学時代には家庭教師という甘い汁を吸っていたこともあるので、偉そうなことはいえませんが、
昨今の「手取り足取り勉強を見ます」サービスは嫌いです。

個別指導や既に組まれた積み上げ式のプログラムなど手取り足取り指導を受けて「合格しました、先生に感謝しています」的な話を聞くと、ちょっと鼻で笑ってしまいます。
恥ずかしくないのかな、と思ってしまいます。
…イヤな奴ですね。


でも、大学受験まではマーケットがそれなりにあるので、手取り足取り面倒を見てくれる塾産業は成り立ちますが、その後の長い人生において、そんなに手取り足取り面倒を見てくれるサービスはありません。


大学の履修管理なんて誰もしてくれません。
塾の手厚いサービス享受者と大学中退問題に相関がないのか非常に気になります。


ただ、最近は大学なのに保護者会を開かなくてはならなかったり、就活予備校的なものが出てくるなど、少子化にともない、手取り足取りサービスの期間は延長されていくのかもしれません。



手取り足取り勉強計画を立ててもらい、そのとおりに着々とこなしてそれ相応の大学に合格する。

それが悪いことだとは思いません。
むしろ、誰かが引いてくれたレールの上を着々と走ることもひとつの能力だと思います。
そして、誰が立てた計画であれ、一つ一つ課題をこなしていけることも重要な能力だと思います。

ただ、個人的には「それでいいの?」と疑問を感じます。



現状の東大の試験は、文系であれば数学もやらなくてはいけないし、社会は地理・日本史・世界史から2科目選択しなくてはなりません。
試験範囲は非常に広く、加えて、短い時間内でそれなりの問題を処理することが求められます。
これは、要領良く情報を処理する能力が求められていると言えると思います。


試験問題にはその大学が求めている人材像が反映されますが、入試問題のとおり東大生には、先生や親に言われるがままにガリガリに勉強をしてきた、と思われるタイプはあまり見たことがありません。
もちろん、大手予備校に通っていた知り合いは多いけれど、みんな自分に必要なことは自分で判断して、取捨選択してやってきた、という感じです。
私の実感としては、いわゆる「ガリ勉」タイプはあまりいない気がします。


私は、現状の要領良く必要な知識を詰め込みそれを活用させる入試制度には大いに賛成です。
仕事においても、入試と同様、様々なことに要領良く適宜対処していくことが求められていると思っています。


インプットにバカ丁寧に時間をかけてもね…
勉強に費やす時間が長ければテストの点数がとれるわけではないことを知らない人が周囲にいると本当に困ります。
「結果」が求められる現在だからこそ、「要領の良さ」が必要なのではないかと思っています。


最近政府において入試制度の検討がなされていますが、聞きかじっただけでは何だかな…と思います。

今の要領良く知識を詰め込んで活用する方法は社会に出ても必要ですよね?
変える必要があるものなのでしょうか?


入試制度改革は非常に興味深いテーマなので、しっかりウォッチしていかねばと、思っています。

 

 

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