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東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

ノブレス・オブリージュ。「持つ者」としての責任。

先日、若手研究者支援について言いたい放題言ってみたのですが、その後から、「持つ者/持たざる者」についてときどき考えています。


貴族などの高い身分にある人は、身分相応の責任・義務を果たすべきとする「ノブレス・オブリージュ」という考え方があります。(※1参照)
戦前においては、大学に進学する人は少なく、大卒者の多くが学んだことを活かして世の中に貢献しようと思っていた、という話の一環で高校生の頃国語の時間に聞いた言葉です。
今考えれば、昔の大卒者は「エリート」として育てられていたんだな、と思います。


いちよう、東京大学を卒業したけれど、ノブレス・オブリージュとは言えない程度にしか世の中に貢献しようという意欲の乏しい私がものを言える立場にはないのですが…

それでも、言いたいことがあるので言ってみます。


先日、スタンフォード大学のd.schoolに関する記事を読みました。(※2参照)

スタンフォード大学といえば、世界大学ランキングでも上位に入ってくる「すごい」大学です。
その大学の中にあって、いわゆる「イノベーション教育」を行っているのがd.schoolだそうです。

d.schoolは次々と革新的な製品を生みだし、スタートアップ企業もいくつも誕生していて、今、世界から注目されているそうです。
そして、スタンフォードのもともと優秀な人たちが集まり、「どうしたら人々が暮らしやすい世の中にできるのか」を考え、プロダクトを生産しているそうです。

この記事を見たとき、先の「ノブレス・オブリージュ」を思い出しました。


誤解を恐れずに言えば、
やっぱり、東京大学などそれなりに有名な大学を出た人たちは、卒業後どのような仕事に就いていようと、「持つ者」なんだと思います。
そして、幸いなことに、知識や学歴を持つ者は、今の世界の価値体系が崩壊しない限り、「持たざる者」になることはあり得ない不可逆的なものです。

やっぱり、私を含む(この文脈における)「持つ者」は持つ者としての責任を果たさなきゃいけないんだな、と思いました。


私の大学時代の友人が言っていたことですが、「学問は娯楽」だそうです。

自分が好きで、おもしろいと思っているだけの勉強は所詮ゲームやマンガを読むのと変わらない、と彼女は言っていました。
そして、彼女は大学の4年間は娯楽の学問が許される期間だから勉強すると言って…世間の大学生とは少し違った大学生活を送っていました。


結局、いくら勉強ができたとしても、それを世の中のために活かせないのであれば、それは意味を持たないただの自己満足で、加えて「持つ者」としての責任の放棄に他ならないのだと思います。
もっと言えば、そんな知識、価値のないものなのかもしれません。


少し話は変わりますが、先日、常勤ポストにつけない若手研究者(ポスドク)支援なるものが、現在国費によって行われているという話をしました。
「博士号まで取得しているのにポストがない」と不満を言っている方々には、ぜひd.schoolの記事を読んでみていただきたいと思います。
短い記事ですが、少なくとも、私自身は今の自分が恥ずべき存在だな、と思いました。


さて、私はどうしよう。。。
実際に「アウトプットを出す」ってすごく難しいです。。。

 

※1ノーブレスオブリージュ とは - コトバンク
※2「大化け」連発、スタンフォードDスクール | The New York Times | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

 

 

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