東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

つぶやきます。「大勢の中の匿名の個人」でしかない私。

私はとっても気まぐれな人間です。
でも、やっぱり、心のどこかで世の中の役に立つことがしたいと思っています。
気まぐれなので、1時間後には「人間楽が一番」と思っている可能性が高いですが、明日には「やっぱり人の役に立ちたいな…」と思っている可能性もあります。


勉強はゲームでした。

できないこと、わからないこともたくさんあるけど、それも含めてやりがいのあるゲームでした。
きっと、今思えば私は勉強それ自体が好きだったんだと思います。
だから、別に医者になって病気の人を救いたいとか弁護士になって社会的弱者を救いたいとか、そういう高尚な動機は昔も今もありません。


でも、勉強をしていれば良かった学生が終わって社会に出たとき、やっぱり、「役に立ちたい」という気持ちが私の中に育ってきました。
そして、今まで身につけさせてもらってきたことを活かしたいと思いました。
でも、単に「勉強ができる」だけの私は、今まで学んできたことをどう活かして何をしたら役に立てるのかわかりませんでした。
今もわかりません。


組織の中で地位を得たら、世の中の役に立てるのでしょうか。
たとえば、総理大臣になったら私が思うような「役に立つ」ことができるのでしょうか。


自分が組織の中で働く人間として見てきたことを思い起こすと、やっぱり総理大臣は「違う」と思ってしまいます。

もちろん、総理大臣は、いないと日本の国家としての機能がストップしてしまうので、今の社会制度の中ではすごく大切なポジションであることは理解できます。
でも、大事なのは「総理大臣の椅子」であって「そこに座る人そのもの」ではありません。
総理大臣の身に何かがあっても、数日後には別の人が総理大臣になっています。
ましてや、今の体制が崩壊してしまったら「総理大臣の椅子」にすら価値がなくなる日が来る可能性さえあります。


何もできないくせにおこがましい話ですが、私は私にしかできない価値を生み出せる人になりたいです。
そのポストにいるから役に立てるんじゃなくて、私だから何か役に立てることができるようになりたいと思っています。


私が尊敬している人の一人に、益若つばささんがいます。

「背が低い人はモデルにはなれない」という既成概念にとらわれることなく、「かわいくなりたい」という自分の思いに正直に生きて今の地位を築かれた益若さんは本当にすごいと思います。

周りを見渡せばかわいい人はいっぱいいるし、「かわいくなりたい」「かわいくなるための努力は惜しみません」という人はいっぱいいるけれど、多くの人は匿名の個人。
益若さんとは違います。


今の私もある意味同じ。
日本中にごまんといる「東大卒、勉強ができる人」の中の匿名の個人。
でも、いつか、私も益若さんみたいになれたらいいな、なりたいな、と思っています。

恥ずかしい話、本気でそう思っているので、「こんなブログ書いてて何の意味があるんだろう」と思うことはあるけれど、もうしばらく続けてみようと思います。