東大生と英語と私。
「グローバル人材」の必要性が強調される昨今、国も経済界も「グローバル人材を育成すべきだ」と英語教育の推進を謳ったり留学のすすめを説いているけれど…
グローバル人材って本当にそんなに必要なの?と、どうしても思ってしまいます。
私、東京大学を卒業しました。
でも、英語、全然できないんです。
海外旅行は好きだからよくしているけれど、困ったときはケータイの絵文字を見せると意外と通じるんです。
失礼な英語でも、とりあえず紙に書いて笑顔で見せれば女の子は赦されるし意図は伝わるんです。
もっと言えば、英語でなくとも、困った顔をすればたいていのことはどうにかなってしまうんです。
社会人になってから仕事で英語が必要になった場面は、過去の勉強の遺産にすがれば読める程度の英文資料を読むくらい。
英語ができないとどうしようもなく困るという場面には遭遇したことがありません。
もちろん、大学受験前には一生懸命英語の勉強をしました。
でも、苦手だったこともあって点数的には足を引っ張らない程度にしかなりませんでした。
まして、センター試験にリスニングが導入される前の古い人間なので、いくら東大の二次試験にリスニングがあるからと言って、そのためだけにリスニングの勉強に時間を割けるほど計画的に勉強はしていません。。
それでも、大学時代にはきちんと英語の授業の単位も取れました。
東京大学を卒業してもこんなものです。
英語が堪能な友人もいますが、私と同じレベルの友人もいます。
自分自身や今の大人を見る限り、今の日本の英語教育を続けても、英語が話せる人材が育っていくとは思えません。
でも、そんなに英語を話せる必要ってあるのかしらん?と思ってしまいます。
もちろん、話せないよりは話せた方がいいに決まっています。
とはいえ、国や経済界が喧伝する「グローバル人材」は、英語をコミュニケーションの手段として使いこなした上で、仕事ができる人を指しているんですよね?
仕事をするための手段でしかない英語に必死になるレベルの人はグローバル人材にはなかなかたどり着けないのではないかと思ってしまいます。
加えて、東大生だけあってみんなそれなりのところに就職をしているのですが…何より実際に仕事で英語が必要だと行っている知り合いも少ないです。
そうすると、経済界が自らの利益の一部を投資してグローバル人材の育成にあてるのはいいとして、改めて国費を使う必要ってあるのでしょうか?
今の日本で仕事で英語が本当に必要とされるポジションはどのくらいあって、それは人口の何パーセントくらいなのでしょうか。。
そういう費用対効果って誰か分析しているのでしょうか?
ところで、英語も話せてディスカッションも得意で、という人材が育ったとして、そういう人が活躍できるポジションはきちんと用意されているのでしょうか?
私、何のためにこの記事を書いたんだろう。
自分の勉強不足、見ている世界が狭いと知りつつ広げようとしていない自分については反省します。
反省をするために書いたんですね、きっと。
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ちなみに、英語が何よりも大嫌い&苦手な私ですが、先日、市販のTOEIC模試的なものをやったら620点取れました。
もちろん、英語は全く話せません。
そして、以前、TOEIC780点以上でセンター試験満点換算、という話が出ていましたが、今回の私の620点は159点。
まったく勉強しないでセンター試験を受けたらこんなにとれるか…ちょっと自信ないです。
「TOEICなんてこんなものかー」とは思いましたが、諸般の事情により近々お金を払って受けてみる予定です。