東京大学を卒業しましたが、

東京大学を卒業したけれど、「何者」にもなれず社会の中に埋もれきったアラサー女子の、現状への反省も込めた徒然記です。

「武士の家計簿」を読みました。-高校までの「歴史」教育について思うこと。

【評価】
おもしろい。

 

【関心】
以前、磯田氏が出演しているテレビ番組を拝見しました。
私が「日本史好き」ということが影響しているのかもしれませんが、磯田氏の話はとてもおもしろく、また、「とても頭の良い方だな」と思いました。
(上から目線ですみません…)

そこで、磯田氏の著書を読んでみたいと思い、読書メーターで検索をしてみたところ本書は群を抜いて多く登録されていました。
登録数とおもしろさが比例しないことは重々承知していますが…
「登録数が多いからにはきっとおもしろいにちがいない!」ということにし、読んでみることにしました。

 

【感想】
本書を読みはじめて少ししてから、本書は映画化もされたとても有名な本であることを知りました。
そのためか、本書の感想は様々なところで目にすることができるようです。


人様の感想がたくさんあるなか、拙い感想を晒すのは恥ずかしいので…
ここでは本書の内容に関する感想ではなく本書を読みながら徒然と考えたことについて書かせていただきたいと思います。

以下、少し長い、本書の素直な感想の方がマシかもしれない駄文を失礼いたします。


<高校までの教科書の「薄さ」>

以前より書かせていただいておりますが、私は中高生のころから日本史が好きでした。
大学受験も含めて、日本史は私の得点源でした。

東大における日本史の入試問題は記述問題4問のみで、私立大学の入試問題やセンター試験の問題のような「いわゆる」知識の有無を問うタイプの問題ではありません。
そのような東大の入試問題も相応に解けていたため、「歴史をそれなりに理解をしている」という自負がありました。

しかし、本書を読むなかで、自分がいかに驕っていたかに気かされました。


私は、たしかに学習指導要領に則ってつくられた日本史の教科書の内容はしっかり勉強したと思います。
この点に関する自己評価は今も変わりません。
でも、教科書に書かれた内容を学んだだけでは、歴史の本当にごく一部、あるいは一側面しか理解できないことを本書を通じて思い知らされました。


例えば。
教科書に必ず載っている、江戸時代の身分制度士農工商」。

士農工商」については、これまで、

  • 江戸時代は「武士が一番偉くて、年貢を納める農民が次」
  • 士農工商」の下にいる「えた・ひにん」のほうがテストに出やすい

くらいの認識でした。

しかし、江戸時代の人々の実情としては、武士には身分費用がかかり自分の召使いよりお金を持っていないことがある一方、商人は大金持ちでも武士の前ではひれ伏す必要がある(=「地位非一貫性」と言うそうです)という状況だったそうです。
身分制度」の実情について思いを馳せたことはこれまでほとんどなかったうえに、このような身分制度が社会にどのような影響を持っていたのか、そもそも「問い」として考えることすらありませんでした。


また、武士が「封建領主」だったことは知っていますが、日本史を学ぶ上でそのことを意識したことはありませんでした。

本書によると、江戸時代の武士は知行地の石高、その所在地は知っていたけれどその領地に足を踏み入れることのない「領主」だったそうです。
このような領主の在り方が明治維新時、「武士階級があれほど簡単に経済的特権を失った秘密」の一部かもしれないと言われてみるとそんな気もしてきます。
本書を読みながら、とても興味深い話だと思いました。
しかし、本書を読むまで、武士の「領主」としての在り方やそれが歴史に及ぼした影響など考えたことはありませんでした。

本書を読むまで、江戸時代については「退屈でつまらない」という印象を持っていましたが、本書を読んで、それが一変しました。
同時に、学生時代、教科書の内容を学んで満足していた自分の浅はかさを猛省しました。


<歴史は「暗記物」について> 

上記の内容と少し関連しますが、「歴史は暗記物」という通説について徒然とした私の意見を述べさせていただきたいと思います。

磯田氏は本書で「歴史はきまった史実を覚える『暗記物』ではない」と指摘しています。
私は磯田氏の指摘の趣旨とは違う意味で、「歴史は暗記物ではない」と思っていますが、一方で、「歴史は暗記物」という考え方は「歴史教育」の一側面を適切に表しているとも思います。

当たり前ですが、歴史について何か言を発するためには歴史に関する用語や固有名詞を覚える必要があります。
その上で、出来事のつながりや制度の意味など「教科書レベル」の話ができるようになるのだと思います。
しかし、最近の学生の話を聞くと、固有名詞を覚えるところで終わってしまっている人が多いように感じます。
それゆえ、「歴史は暗記物」になってしまうのだと思います。


私も学生を卒業し、新書などの本を読むようになって学生のころよりは少しだけ、歴史を深く知ることができるようになり、「勉強」をしていたときとは違ったおもしろさを味わったりいろいろなことを考えることができるようになったと思っています。
そこまでたどり着けてはじめて「歴史を学ぶ意義」の片鱗が見えたような見えないような…

磯田氏が指摘する「歴史とは過去と現在のキャッチボールである」までたどり着ける人はほとんどいないのが現状なのではないでしょうか。
もちろん、磯田氏が指摘する領域まで歴史を深められたらおもしろいのでしょうが、現状、なかなか難しいと思います…

とはいえ。。
本書に書かれているような中高生までの歴史の教科書に載っていない内容は大学で日本史を専攻したら学べるものなのでしょうか?
そもそも、大学で「歴史を教えてもらおう」というスタンス自体が間違っているのでしょうか?

そのあたりはよくわかりませんが、本書を読むと学校教育における「歴史教育」について徒然と考えさせられました。


以上、長々と、本書を読みながら思ったことについて書かせていただきましたが、最後に、本書の内容について一言だけ述べさせていただきたいと思います。
本書の主人公「猪山家」は明治維新期、数学という実学を買われて海軍に入り出世をしていきます。
しかしながら、「海軍」に入ってしまったがゆえに太平洋戦争の混乱期を猪山家は無事に乗り切ることができたのか、本書を通じて猪山家に親近感を覚えた身としては非常に心配です…


本書は江戸時代および武士に対する理解が深まるとともに、「猪山家の物語」としてもとてもおもしろい良い本だと思います。
ただ、本書の研究対象は「猪山家」という一つの「家」のみであるため、本書の内容がどこまで一般化できるのかだけは疑問は残ります。
武士の懐事情についてさらなる研究が進むことを期待しています。
(いつも上から目線で申し訳ありません)

徒然とした駄文を失礼いたしました。

 

 

 

 

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

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